… 猫くんたちと のんびりまったり …                                              

今のわたしの課題? 155

朝、目が覚めると王子がふぅ~んふぅ~んとお食事を御所望。

そういう時はニャアとはなかれません。

でも、朝から食欲があるというのは元気な証拠。

ウレシイです^^

わたしの胸の上でしばしゴロゴロ…

 

でも、すぐに去っちゃうのです…

起こし方もスマートなのですよ^^

 

おはこんばんちゃ、 ひなた まど。です…^^ 

 

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     ☆ ありがとうございます ☆ (人''▽`) ☆☆☆彡

 

昨日、ブログの記事を書いてから You Tubeでセッション動画を見ていました。

それはお母さんが精神的な病を抱えていたから自分は愛されなかった。

だから、常に満たされていないという方のセッションでした。

 

お母さんが精神的な病気であることはお母さんの問題であること。

それを自分と絡めているのはそこに利得があるからじゃないかと問われていました。

 

健康的に幸せに生きること を自分で拒んでいる。

お母さんが精神的な病気であったせいにしているのでは?

それによって自分自身の問題を解決しようとしていないと…

 

お母さんが精神的な病気だと人に話すことで人が同情してくれたり

話を聞いてくれるという利得があるからじゃないか?と…

 

心理学的なセッションってたいていが親子関係を掘り下げるようです。

それを本人がどう解決していくか?が課題となるようです。

セッションをする人によって持っていき方は様々なようですが、

肝心なことは本人が自分自身で解決していくことで

人に導いてもらい過ぎてはいけないようです。

 

わたしが今一番好きなカウンセラーさんはいつもそれを強調されます。

セッションを受けた時は心が洗われ清々しい気持ちになっても

そこから離れるとまた元の自分に戻ってしまうことが多々あると…

 

それはそのセッションで他者と思いや感動を分かち合えた高揚感や

カウンセラーさんが自分の問題に一緒になって熱心に取り組んでくれたことで

セッションを受けた時には清々し気持ちになれるのだけど

それまでは親に依存していたのがカウンセラーさんへの依存へと移っただけ

ということもあり得るから、

本当に自分自身で自分自身の課題に取り組み

自分自身の幸せを他者と切り離して考えていく力を持たなければいけない

というのが肝心なことのようです。

 

YouTubeの動画をなんとはなく眺めながらストレッチをしていたのですが、

わたし自身も継母と血が繋がっていないからという問題に拘りすぎていたのかも…

と、思えたのでした。

 

結局、わたしはいつも責任をどこかよそへ預けて、

自分は無力な人間であるように設定しちゃってた?

 

わたしは末っ子だったのでいつも家族の中の弱者でした。

末っ子ってそうですよね…そう扱われてきたし、

自分でもそういう設定で生きてきてしまっていました。

弱者であるから庇護を求め、従順に従うようにしてきた?

でも、本来のわたしはワガママで我が強いんじゃないのか?

本当は意固地で気が強いのに

本来の自分を素直に出さずに隠して?生きてきたような気がします。

 

職場の上司に対しても、そして兄に対しても

相手が間違ったことを言ったり、したりすることが度重なると

不信感が募っていきます。

そしてある時上限に達すると

それを指摘していくようになります。

そういう事が度重なって

相手への気持ちがひっくり返ってしまう…

そして、強い怒りになってしまうのかもしれません…

 

それまでは言い返したりもしなかったのに

段々、それはおかしいんじゃないかと矛盾をついていったりするので、

相手にとっては認めたくなかったり

許し難く思えるのかもしれません…

 

先日、兄と会って話をした時も

最後には兄にかなりキツイものの言い方をしました。

兄は会って話をすればわたしを言い伏せることができると思っていたようですが

怒りが沸点に達してしまって数日経った後のわたしには

冷静に兄の矛盾が見えたので、兄のペースに乗ることはなく

寧ろ自分の価値観で厳しく言い放ちました。

 

こども騙しのような言葉を並べられても

継母の介護生活がタイヘンだったなどと語られても

信じることはできません。

 

兄は同居していたわけでもなく、通院も月に一度の事

多少の認知症の症状があったとしても徘徊したり行方不明になったり、

身体介護や生活面の介護が必要だった訳でもありません。

毎日通いのヘルパーさんが様子を見に来てくださっていたようですが

基本的にご近所の方々に見護られて独居生活ができていたのです。

その費用もモチロン継母自身の年金から支払われていたと思います。

 

結局継母は亡くなる時まで自立した生活をしていました。

 

そして、兄と話をしてから思ったことなのですが、

兄は継母が亡くなった時には既に相続するつもりでいた気がします。

葬儀の時に、継母の親族にはお金で渡せばいいのだろうと呟いていましたから…

 

わたしは葬儀の費用など心配して尋ねたのですが

それも継母の預貯金から出しているから大丈夫だと言っていました。

 

お骨を家で預かり、田舎までの納骨、お寺への分骨

と、家族揃ってしてくれていたことにわたしは感謝の気持ちを伝えていました。

相続するものなどないのに、家族揃って供養をしてくれているのだと…

 

わたしは納骨には立ち会いたくなかったので

申し訳ない、ありがとうございますと義姉にも伝えていたのですが、

それを相続を放棄する事と結び付けられていたような気がしました。

 

でも、もしかしたら最初の段階でそれを伝えてくれていたら

放棄しちゃってたかも…???

今となってはわかりませんが…

 

 また、継母が認知症を発症してからの数年間ですが

継母の弟さんからはちゃんと養子縁組をするように言われていたようですし

継母の預貯金を兄が預かっていたようでした。

なので、その間の継母の年金も兄は自由にできたのではないかと思えてきました。

 それに関しては、どうこういうつもりはないのですが…

 

別件で、ふと気になって今朝、兄にメールを入れました。

即答してくれると思っていたのですが、

 

「 念のため司法書士さんに確認をとってから連絡します。 」とのこと…

 

わたしの悪い予感が当たっていないといいのですが…(-_-;)

 

 

でも、ここのところ一連で起こったことを考えてみて

もう、わたしは人の下に自分を置くことをやめようと思いました。

 

まぁ、職場では上司は上司だし、わたしはただのしがないパートなので

残り一カ月は謙虚に仕事をしていこうと思いますが、

正しいと思うことはハッキリ言おうと思いますし、

ただただいう事を聞くだけのコマのような存在にはなっていたくないです。

今はもう辞めることも確定で、それについても後悔はありません。

 

そして、兄に対してですが、

今までのように兄だから…と思うことはありません。

関係を断つとか縁を切る気はありませんが、

お互い別々に家族を持ってしまうと

価値観が変わってしまうものなのだと思いました。

 

わたしは元旦那さんとは価値観も違ったから離婚しましたが、

兄は義姉の価値観を大切にして生きているんだと思えます。

それが兄にとっての幸せならばそれはそれなのですよね…

 

兄の生き方とわたしの生き方は違うし

兄の価値観とわたしの価値観も全く違うものでした。

 

それはそれとして

話し合うことで折り合いをつけていくしかないのでしょうね…

折り合い つくのかな…  ^^;

 

 

これからドウナッテいくんだろ…

 

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 小学5年生の時の通知表の裏表紙

 

こんな子になりましょう

〇差別をしない、差別をなくす子ども。

〇自分や友達の人権やいのちを大切にする子ども。

〇明るくのびのびとたくましい元気な子ども。

〇みんな仲良く助け合って なかまと一しょに学んでいく子ども。

〇自分でよく考え進んでよいことを実行し、働く子ども。

 

で、先生の所見

 

あけっぱなしで明るい性格。

国語の読解、情緒的な物の見方、感じ方に少し荒さが目立ちますので、

今後気をつけていきたいと思います。

 

だって…

5年生だったけど、もうおばあちゃんみたいな先生でした。

国語の先生だったからかな、この所見…

 

まだまだ当時は無邪気に自分を生きていられたのかもしれませんが

この先生のことは忘れてました。

堅苦しくて好きじゃなかったから…(^^;

 

 

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